パワースポットで有名な高野山に参拝し、本物の縁結びや祈願祈祷を実施。その効果も体感できました。
高野山(こうやさん)
高野山の入り口となる「大門(だいもん)」
高さ約25mある丹塗りの巨大な門で重要文化財に指定されています。
安置されている仁王像は東大寺南大門に次ぐ、日本二番目の大きさ。
阿形像の像高は約5.4m、吽形像は約5.5mあり、それぞれ江戸時代の仏師「康意」と「運長」が造立しました。
高野山の「中門(ちゅうもん)」は、度重なる火災で焼失と再建を繰り返してきました。
1809年に焼失し、1820年の再建時に持国天と多聞天を造立。
その後1843年にも焼失、2015年に鎌倉時代の建築様式をもとに再建されました。
その際、広目天と増長天を大仏師の松本明慶が製作し、四天王が訪れる人々を出迎えています。
高野山開創当時は講堂と呼ばれ、高野山の総本堂として重要な役割を担ってきました。
昭和元年に焼失し、1932年に7度目の再建。
高村光雲によって本尊の薬師如来(阿閦如来)が製作されました。
819年、弘法大師空海が地主神として山麓の天野社より勧請しました。
現在の社殿は1594年の再建されており、高野山の鎮守として信仰を集めています。
886年の創建ですが落雷などの火災に見舞われ、現在の「西塔(さいとう)」は1834年の再建。
内部には金剛界大日如来など4仏が安置され、鳥人姿や飛龍といった絵画が色彩豊かに描かれています。
美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔うため「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」を1159年に建立。
鳥羽法皇の皇后である美福門院が、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるための経蔵で、荒川経蔵とも呼ばれています。
現在の社殿は1934年に再建されました。
弘法大師空海とその甥である「真然大徳(しんぜんだいとく)」と二代を費やし、816年~887年に創建。
真言密教の根本道場です。
本尊は胎蔵大日如来、塔内には立体曼荼羅世界が広がっています。
全国に約4000社ある高野山真言宗の総本山。
元々は高野山大二世の真然大徳の住坊があった場所です。
1593年、豊臣秀吉が母の菩提を弔うために剃髪寺を建立しました。
明治時代に金剛峯寺と改称し、1593年に再建。
豊臣秀次自刃したという有名な柳の間には、狩野探斎が手掛けた雪柳白鷲が描かれています。
ここからが日本最高峰のパワースポット「奥之院」です。
奥之院の入り口に位置する一の橋。
正式には大渡橋または大橋とも言われ、ここから弘法大師の「御廟(ごびょう)」まで約2kmの参道が続きます。
通常、奥之院は撮影禁止です。
その為、敷地の外からズームで撮影した参考画像だけ載せておきます。
約1800本もの老杉に囲まれた美しい参道。
20万基を超えるともいわれる諸大名などの墓石群が両側に立ち並び、神秘的で荘厳な雰囲気が漂っています。