ヘッダー画像

本物の縁結びや祈願祈祷を実施。口コミでも話題の洲崎神社に参拝し、その効果を実証。

洲崎神社(すさきじんじゃ)

千葉県館山市にある「洲崎神社」は、先日ご紹介した安房神社と同じく「一之宮(一宮)」の称号を持つ由緒ある神社。

こちらは南房総半島の西に突き出している部分に位置しています。

太平洋を一望できる御手洗山(標高110m)中腹に鎮座し、晴れた日には富士山を眺めることもできます。

洲崎神社は石橋山合戦に敗れた源頼朝が戦勝祈願に訪れ、見事に平家討伐を成功させたエピソードで有名な神社です。

その後多くの武士より崇敬を集め、江戸城を築城した太田道灌は洲崎神社を勧請。

城の鎮守となる神田明神にしたと「永享記」に記されています。

この背景から江戸時代頃より安房国一宮と人々から称されるようになりました。

江戸時代(1704~1711年)に建てられた随神門が現存し、裏から拝殿まで急階段が続きます。

148段ある階段は「厄払い坂」と呼ばれています。

写真は階段を上り切った後の風景です。

眼下に東京湾が広がることから、古くは豊漁や海上交通の守護神として信仰されていました。

8月の例大祭では、海上安全と豊漁祈願を行います。

踊りが終わるとお神輿をもみ・さしを繰り返しながら階段を降りてくる様子は、熱気と迫力満点です。

拝殿を見上げると、8代将軍徳川吉宗の孫である松平定信が奉納した「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額が正面に掛けられています。

主祭神の「天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)」は、房総半島を開拓した「天富命(あまのとみのみこと)」の祖母神です。

神武天皇の時代、天富命が天比理乃咩命の鏡をご神体にし、御手洗山に祀ったのが創建の由来とされてます。

天比理乃咩命は、安房神社に祀られている「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」の后神でもあります。

後方の彩色された本殿は江戸時代中期(1673~1681年)に建てられた三間社流造、館山市の文化財に指定されています。

拝殿の右側に金刀比羅神社が鎮座しています。

拝殿の左手側に稲荷神社が鎮座しています。

稲荷神社の近くに、富士遥拝所と書いた木製の案内板があります。

その指し示す方向へ歩いて行くと、海を一望できる絶景にたどり着きます。

まるで海に面するように富士見鳥居が構えており、横にある「幸せの鐘」を訪れた参拝者が鳴らしていました。

神社から離れて海に向かうと浜鳥居があり、鳥居中央から富士山や季節によりますが夕日が沈む美しい姿を望むことができます。

当日は天気に恵まれ、キレイな風景を写真に収めることができました。

浜鳥居近くにある長さ2.5mほどの「御神石」には伝説があります。

その伝説とは竜宮から奉納された二つの石の一つで、もう一つは対岸にある横須賀の安房口神社に祀られているとされています。

この二つの御神石が東京湾の入口を守護しており、口が開いているような安房口神社は「阿形」、裂け目の様子から洲崎神社は「吽形」に例えられています。

歴史と伝説を伝える洲崎神社。

霊験あらたかな古社は航海安全や豊漁の他、五穀豊穣と厄除開運の守護神として今も信仰を集めています。