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本物の縁結びや祈願祈祷を実施。口コミでも話題の北口本宮冨士浅間神社に参拝し、その効果を実証。

北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)

富士山世界遺産構成資産の一つ「北口本宮冨士浅間神社」

国道138号沿いに立つ、一の鳥居からスタートです。

一の鳥居の先には、自然豊かな長い参道が続きます。

両脇は苔むした石灯籠が並び、清らかな空気が漂う荘厳な参道。

歩いているだけで心身が浄化されていくのを感じます。

樹齢百年以上の杉木立に囲まれた参道。

天に向かって真っすぐに伸び、 木々の間から漏れる日の光が何とも美しいです。

富士講の開祖である角行。

真冬の極寒に富士山を遥拝しながら裸身で、この岩の上に30日間つま先立ちする荒行をしたと伝えられています。

木造鳥居では最大級の大きさを誇り、その高さは約18m。

この見上げるほど巨大な朱塗りの4脚鳥居は、60年に一度建て替えられています。

近くでは平成26年に大改修が完了しました。

清らかな水が流れています。

歴史を感じさせる重厚な随神門は、1733年に富士講村上派の村上光清が造営しました。

掲げられている銅額には「三国第一山」と書かれており、日本・唐・天竺で富士山が世界一の山であることを示しています。

随神門を入ると、いよいよ境内の中心部です。

随神門の正面に神楽殿があります。

北口本宮冨士浅間神社の拝殿、幣殿、神楽殿、手水舎、随神門は莫大な資金をかけ村上光清が造営。

多くの建築物が国の重要文化財に指定されています。

隋神門をくぐると左手に立派な手水舎があります。

大きく深い水盤は、一個の石をくり貫いて造ったもの。

山麓の約400mに渡る溶岩の岩場「石屋の寝床」から切り出したそうです。

龍の口から絶え間なく流れる、清らかで冷たい霊水。

源頼朝が鞭(むち)で岩を突いたところ水が沸いた伝説が残る、湧水地「泉瑞(せんずい)」から引かれています。

泉瑞から湧き出る水は「御霊水」といわれ、神聖なものとして扱われてきました。

1900年以上の歴史をもつ、霊験あらたかな北口本宮冨士浅間神社。

ご祭神は下記の三神

  • 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
  • 彦火瓊々杵命(夫神様:ひこほににぎのみこと)
  • 大山祗命(父神様:おおやまづみのみこと)

創建の由来は東方への遠征の折、日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地で富士山の神霊を遥拝。

「富士の神山は北方から拝せよ」と仰せになり、祠を建てて祀ったのが始まりとされています。

現在の本殿は1615年、徳川家康の家臣である鳥居成次(とりいなりつぐ)が建立しました。

拝殿前の両脇には「太郎杉」と「夫婦檜」の名を持つご神木が、堂々と佇んでいます。

写真の「太郎杉」は、推定樹齢1000年以上。

拝殿の左脇には七色もみじがあり撮影時は雪景色でしたが、紅葉の季節は色鮮やかになります。

真正面に東宮本殿が構え、近くには樹高約30mの立派な次郎杉が立っています。

富士権現と呼ばれる彦火火出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)を祀っています。

1223年、北条義時による創建と伝えられており、現在の社殿は1561年に川中島の戦いの戦勝を祈願し、武田信玄が再建。

社殿は現存する中では最古で、彫刻や構造に室町時代の手法を見ることができます。

東宮本殿の左隣には、1962年建立の神武天皇社があります。

本殿裏に大黒様と恵比須様が祀られており、商売繁盛にご利益があるとされています。

天照皇大神、豊受大神を祀っています。

1594年、都留郡の領主である浅野左右衛門左が建立したとされています。

西宮本殿の右後方にあるのが、吉田口登山道の起点となる「登山門」です。

登山門をくぐると正面に祖霊社が鎮座しています。

ご祭神は下記の三神

  • 藤原角行(富士講の開祖:ふじわらのかくぎょう)
  • 村上光清(復興に尽力:むらかみこうせい)
  • 食行身禄(富士講を江戸庶民に広めた:じきぎょうみろく)

境内の右側には多くの境内社が鎮座しています。

境内北西に鎮座する摂社の諏訪神社。

ご祭神は下記の二神。

  • 建御名方神(たけみなかたのかみ)
  • 八坂刀売神(やさかとめのかみ)

当地の地主神で北口本宮冨士浅間神社よりも先に、諏訪神社があったと伝えられています。

参道に踏み入れた瞬間、日常とは全くの別世界となり空気が一変します。

訪れた人々へ感動を与えてくれる貴重な神社です。