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本物の縁結びや祈願祈祷を実施。口コミでも話題の彌高神社に参拝し、その効果を体感しました。

彌高神社(いやたかじんじゃ)

秋田県秋田市の中心部に位置する「彌高神社」

秋田と言えば「なまはげ」や「きりたんぽ」。それと「いぶりがっこ」が有名ですが、もちろん素敵な神社も点在しています。

その一つがここ彌高神社。

特に、受験シーズンになると多くの受験生が祈願に訪れる、学問成就や合格祈願のご利益で有名な神社です。

彌高神社が鎮座するのは、江戸時代に藩主であった佐竹氏が築いた久保田城跡の「千秋公園」

こちらの公園は明治時代に造られた日本庭園で、秋田の歴史を感じられる人気スポットです。

園内を散歩してみましたが静かな雰囲気に包まれおり、日頃の喧騒から離れてゆったりとした時間を過ごせる市民の憩いの場であることが分かりました。

それだけではなく豊かな自然は四季折々の姿を見せ、特に春になると桜やつつじが美しく咲き誇り、毎年訪れた花見客を魅了しています。

その千秋公園と隣接しているのが彌高神社です。

彌高神社

神社のご祭神は下記の二神。

  • 神霊眞柱大人命(かむたまのまはしらうしのみこと)
  • 佐藤信淵大人命(さとうのぶひろうしのみこと)

神霊眞柱大人命は別名「平田篤胤大人命(ひらたあつたねうしのみこと)」と呼ばれていますが、歴史の教科書にも登場する有名な江戸時代後期の国学者でもあり神道家である人物です。

久保田城下の四男として生まれ、20歳に学問を志し脱藩をして江戸へ出ています。

苦学した末、25歳の時に松山藩士の平田篤穏の養子になったそうです。

その後、本居宣長の影響のもと国学者として名を広め、ついには国学四大人の一人となった実在した人物。

片や、佐藤信淵は出羽国雄勝郡の医学・農学を代々研究する家に誕生しています。

父祖4代から受け継がれてきた家業の学問を継承すると、家学を大成させました。

見聞を広めるため江戸に出ると蘭学や儒学を学びながら、平田篤胤からも国学を学んだそうです。

そして思想家・農学者として江戸時代後期に活躍し、人々を困窮から救うため政策などの著述を多く残しました。

以上のエピソードからも分かるように、二柱のご祭神は秋田が誇る学問の偉人として祀られ、学問成就や合格祈願にご利益があるとされています。

その為、受験シーズンになると、参拝者の願いが込められた数えきれないほどの絵馬が掛けられています。

加えて彌高神社は緑豊かな立地と本格的な神前式が人気を呼び、これまで多くの夫婦の縁を結んできました。

ときどき千秋公園内では、白無垢に身を包んだ花嫁の歩く姿を見かけることが出来るようです。

彌高神社鳥居

神社の歴史は明治14年。

秋田市八橋の日吉八幡神社境内に、平田篤胤を祀る「平田神社」が創建。

明治42年には秋田県教育会が中心となり、旧県社八幡神社を改修して秋田市中通4丁目に遷すとともに、佐藤信淵大人命が合祀されました。

これより社名を彌高神社と改称。

大正5年に現在の千秋公園の一角に遷座し、秋田県の重要文化財に指定されています。

当日は、学問成就のご依頼を受け、そのご依頼者様の祈祷を行わせて頂きました。

ご朱印などは購入していませんが、とても良い神社ですので秋田市に来たら是非とも参拝して下さい。

ちなみに、アクセスは東京から秋田駅まで新幹線で約4時間。

秋田駅から徒歩13分ほどで彌高神社に到着します。

車の場合は、参道側からは通行ができるうえ駐車場もあるので便利です。

彌高神社に訪れた際には、秋田の歴史と自然美を感じ充実した時間を過ごしてください。